前回「四半世紀を振り返って」→コチラが
意外と好評で
続編を望む声があったので
書いてみますね。
「なぜ、栄養士になったのか?」
というご質問もありましたので
ついでに・・・。
結婚して
(夫のとの出会いは割愛~)
憧れの専業主婦になりました。
そのころのイメージは
「3食、昼寝付き、ワイドショー見放題・・・」
天国だと思っていました。
でも3日で飽きてしまいました。
私は向いていないと思います。
ワイドショー、何度も何度も
同じ事件とかを繰り返し、
飽きましたし、
田舎なので
テレビのチャンネルも4つしか
選択できず
(うち2つはNHK)
住んでいたところが、
周り一面田んぼの風景。
夫の地元なのですが・・・
私は自分の車も持って
お嫁に行きましたが、
夫は
結婚前に自分の車を
自損事故で
車を廃車しており、
車がなく、
私の車で通勤していたので
私は足がない状態・・・
あの田んぼの中、
自分と同じ世代の人もいなくて
たまに友達が遊びに来ましたが、
超、暇を持て余していました。
またそのころに住んでいた家は、
町営住宅で
(2階建てちょこっと庭付き)の
家賃が9000円のところでした。
(現在でも残っている)
田んぼのど真ん中にあったので、
湿気も多く、
青大将(ヘビ)が
お風呂の排水管から入ってきたこともあります・・・。
暇でしょうがないので、
料理を始め、
買い物は
「週1回」しかしなかったので、
買いだめして、
小分けして冷凍したり、
夫の給料でやりくりしていたので
超節約生活。
よく芸能人が
1か月間やっているやつ、
実践してましたね・・・
それを1年続けて
長女を妊娠・出産・・・
まあ、それまでもいろいろあったのですが
まあ、夫と
夫の両親ともめました。
このブログを読んでくださっている方は
お義父さんが野菜を持ってきてくれて
ありがたいです~って
書いているので
すごく良好な関係だと
思っていらっしゃると思います。
今はね・・・でも
当時は
お互いの価値観や考え方が
全く合わなくて
大げんかしました。
夫は長男なのです。
田舎で長男といえば、
家を継ぐのが当たり前で
私もそんな感じでした。
でも最初は
離れて暮らしていたのですが
長女が生まれて
一緒に暮らすという話が出て
新しい家を建てる話になり、
その時、
夫の両親以外に
祖父母もご健在で
夫の弟たちもいたので
総勢9人で住む予定でした。
もちろん
家のローンは
私たちも払い
食費とかも・・・
だけど
家についてや生活費などの私の意見は
通らず・・・
このままいくと
私一生自由じゃなくなる~と
夫と離婚まで考えました。
夫は
妻というものは
夫や嫁ぎ先のいうことを
聞くものだという
考え方だったので
(それが当たり前だと思っていた)
最初は私も
あわせようと思っていたんですが・・・
お義父さんにもたてつきましたね・・・。
「お義父さんの考え方は
古いんです!若い私の意見も
聞いてください。」といったと思います。
その時は聞いてもらえませんでした。
夫もその話をすると
不機嫌になりました。
それで
友達に相談したら
「小さくても自分で家を建てたほうが
楽だよ」というので
決心しました。
よく覚えてないけど
夫とはすごい喧嘩のあと、
最終的に
夫は私の方に
ついてくれました。
(まだ家を建てる前の話で
お義父さんたちと
実際に一緒に暮らしたことはありません。)
そのあと、
私は就職して家を建てるのですが、
多分、夫も職場の人とかに
長男なのに
別に家を建てるの?って
言われたと思います。
そんな時代・考え方でした。
今じゃ、そんなこと
なかったかのように
お義父さんは、
美味しい野菜を作っては、
30分くらい離れている我が家まで
月3~4回持ってきてくださいます。
今ではとっても
良好な関係です。
・・話は前後しますが、
仕事をしたいと思っても
長女が1才だったので
働くこともできず・・・
そう思っていたら
スゴイタイミングで
新聞に大きく
「病院職員募集、託児所完備」
というのが載っていて
その中に「栄養士募集」とも
書いてありました。
しかも
私が生まれ育った市で、
長女を出産した病院でした。
なので
どんな病院かもわかるし、
実家にも近い・・・
託児所もある・・・
こんな偶然ってある?
私のためにお膳立てしてくれたかのように
感じました。
また、節約生活のおかげで
料理もある程度作れるようになっていましたし
不安はなかったです。
それで面接を受けて、
働くようになりました・・・
ところが・・・
私が「明日から働きます」ということで、
職場にあいさつに行ったら、
前の栄養士さんが
「後任が決まったから、
私は明日から来ません」といわれ・・・
私は引き継ぎなしで、
いきなり働くことに。
そして
なぜ彼女がそんなやめ方をしたのか、
すぐわかることになります。
私が初出勤して
「よろしくお願いします」と
あいさつをしたところ、
(私より全員年上)
調理員のトップの方に
「いっとくけど、私らあ、あんたの言うことは
聞かんからね。
私らあのいうことを聞いてよね。」
と言われました。
当時、週休1日の時代、
病院が職員に「週休2日」を切り替えるときでした。
それなのに、
それさえも嫌がるのでした。
私は入って後悔しましたが、
夫の手前、
「すぐやめた」なんて言えません。
また病院に託児所ができたのは
それから3か月後で
それまでは
当時住んでいた9000円の町営住宅の
近くの保育園に連れて行ったのですが、
長女(当時1歳半)が嫌がり、
朝泣き叫び、
迎えに行くといつも泣いていました。
「ママ~、いや~」っていう声を
聞いて
泣きながら出勤していました。
保育園の門を見るだけで
大泣き。
「一日中泣いていました」と
保育士さんに言われるし・・・
おまけに
当時、パソコンもない時代。
献立とかの資料も
全部家に持って帰って
やっていたので
荷物も多かったです。
栄養計算も電卓。
縦横の計算は、
そろばんで。
そろばんも毎日持って帰っていました。
さらに
もっともっと大変なことが・・・
(続きは明日に続きます・・・中途半端でごめんなさい~)
今日の夫弁当
ごはん・牛肉のしぐれ煮・
ピーマンの当座煮(釜揚げちりめん)
卵のそぼろ・紅生姜・
野菜のカレー炒め
(キャベツ・人参・コーン・豆苗・玉ねぎ・もやし)
酢の物
(きゅうり・わかめ・春雨・しそ)
ミニトマト
・・今日は
30分寝坊したので
かなり慌てましたし、
結構時間がかかりました。
今日のおめざジュース
私の使っている
コールドプレスジューサー
画像クリック
朝、「食欲がない」という夫も
このジュースだけは
かかさず飲んでいます。
もう、すっかり
ルーティン~。
夫、
「ビーフシチューが食べたい」
というので
朝から
仕込んでます・・・。
そして、
朝は庭の水まきをして
慌ただしく
行ってきます~。
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宜しくお願い致しますm(_ _ )m